これは、俺の祖父から聞いた話だ。
祖父は九十を超えても頭が冴えていて、昔のことをよく話してくれた。その中でも、この話だけは、一度しか話してくれなかった。
「お前も大人になったから、教えておく」
そう言って、囲炉裏の前に座り直した。
祖父の生まれた村には、「子返し」という風習があったという。
今でいう岩手の山奥。
祖父が子供の頃、昭和の初めの話だ。
その村では、子供が生まれてから七日間、母親は子供を一人にしてはいけないとされていた。
片時も目を離さず、必ず誰かが傍についていなければならない。
昼も夜も。
眠るときも。
理由は、こうだ。
「七日の間は、まだあっちとこっちの境におる。一人にすると、連れて行かれる」
村の古老は、そう言っていたらしい。
「あっち」が何を指すのか、誰も詳しくは教えてくれなかった。
祖父が十二歳の頃、村に新しい命が生まれた。
隣の家の、長男だった。
父親は喜んで、村中に酒を振る舞った。
母親は床に伏せたまま、赤子の傍についていた。
三日目の夜、母親がうとうとした。
ほんの少しの間だったという。
目が覚めると、赤子が泣いていなかった。
眠っているのかと思って覗き込むと、目を開けていた。
でも、声を出さなかった。
ただ、天井の一点を、じっと見つめていた。
母親は、嫌な予感がして、産婆を呼んだ。
産婆は赤子を見て、顔色を変えた。
「誰かが来とった」
そう言ったきり、何も教えてくれなかった。
七日目の朝、赤子は息を引き取った。
病気ではなかった。
前の日まで、乳もよく飲んでいた。
村の古老たちは、葬式の間、誰も泣かなかった。
ただ、静かに、手を合わせていた。
祖父が古老の一人に聞いた。
「なんで泣かないんですか」
古老は、しばらく黙ってから、こう答えた。
「泣くと、また来るから」
それから二年後。
同じ家に、また子供が生まれた。
今度は女の子だった。
家族は、今度こそ気をつけた。
親族が交代で、昼夜問わず傍についた。
七日間、誰も一度も目を離さなかった。
七日目の夜明け、無事に朝を迎えた。
家族は泣いて喜んだ。
村の人たちも、笑顔で祝った。
ただ、一つだけ、おかしなことがあった。
七日目の朝、赤子の首に、細い指の跡がついていた。
誰もつけた覚えがなかった。
赤子は元気だった。
泣き声も、よく出ていた。
産婆は、その跡を見て、こう言った。
「惜しいと思っとる。また来るかもしれん」
その女の子は、無事に育った。
祖父は、その子が嫁ぐまでを、村で見届けたという。
ただ、祖父が気になっていたことが一つあった。
その子は、成長しても、夜中にふと、天井の一点を見つめる癖があったという。
誰かに話しかけられても気づかないほど、じっと、見つめていた。
何を見ているのか聞いても、本人は「何も見ていない」と言った。
祖父は、そこで話を止めた。
囲炉裏の火が、小さくなっていた。
「その子は、今どうしてるの」
俺が聞くと、祖父は少し間を置いた。
「お前のお母さんだ」
俺は、その夜、眠れなかった。
母に聞こうとしたけれど、聞けなかった。
ただ、一つだけ、思い出したことがある。
子供の頃、夜中に目が覚めると、母が天井を見ていることがあった。
俺が「どうしたの」と声をかけると、母はこちらを向いて、普通に笑った。
「なんでもないよ」
そう言っていた。
俺には、今年、子供が生まれる。

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