うちのマンション、夜中にエレベーターに乗ると、必ず先客がいる。
変なのはここからで、1階で待ってて、ドアが開いた瞬間には、もう中に男が立ってるんだ。
階数表示はずっと「1」のまま、一度も動いてないのに。
順番に書く。
今の部屋に住んで一年半になる。築は古めだけど、入る前の年にフルリノベされた物件で、家賃のわりに中はやけに綺麗だった。内見のとき即決した。エレベーターもそのとき新しいのに替えたばかりで、箱の天井に最新のAIカメラが付いてる。最近よくある、顔を自動で検知して、入退室のログをスマホアプリに残すやつ。サブスク型で、月いくらか管理費に乗ってる。住人は専用アプリで「何時に・誰が」出入りしたか、顔のサムネ付きで見られる。前の住人の代に空き巣があったとかで、管理会社が防犯目的で入れたらしい。正直、入居の決め手のひとつだった。新しくて、安全で。そう思ってた。
俺の仕事は深夜まである。帰宅はだいたい3時すぎ。
で、最初に書いたやつ。深夜に帰ってエントランスでエレベーターを呼ぶと、必ず先に誰か乗ってる。
最初の数ヶ月は、別に気にしてなかった。
夜勤明けの住人とか、遅い時間の置き配の配達員とか、そういう人だろうと思ってた。実際この建物、置き配が多いし、夜中でも宅配の人をたまに見る。だから「ああ、お疲れさまです」くらいの感覚で、軽く会釈して、隅に立って、自分の階のボタンを押す。それだけ。
気づいたのは、表示だった。
エレベーターって、上の階で止まってるときに呼ぶと、「5、4、3、2…」って数字が減りながら降りてくるだろ。
でも、その男が乗ってる日は、ずっと「1」なんだ。俺が呼ぶ前から、1階に止まったまま。表示は一度も動かない。
なのに、ドアが開くと、中にもう立ってる。
それに気づいてから、急にこわくなって、男のことをよく見るようになった。見るっていうか、見ないようにしながら、目の端で観察するようになった。
格好はいつも同じ。地味な、少しくたびれたジャケット。ずっとうつむいてて、顔は見えない。
髪が、濡れてる。
雨の日じゃなくても、いつも少しだけ濡れてる。前髪の先から、ぽたっと落ちそうで、落ちない。
手にスマホを持ってて、画面は点いてるんだけど、ずっとロック画面のまま。時計の表示が「3:14」で止まってる。何度見ても3:14。秒も動いてない気がする。
俺はそいつと同じ箱で、上の階まで上がる。間、ひとことも喋らない。空気がやけに重い。
で、自分の階に着いて、降りる。
降りるとき、一回だけ振り返る癖がついた。男は、降りない。
俺の階より上のボタンが押されてるわけでもないのに、ずっと箱の中に立ってる。
ドアが閉まる。表示を見ると、また「1」に戻ってる。それで終わり。
ある夜、布団の中でふと思い出して、例のアプリを開いた。入退室ログ。
俺の顔は、毎晩ちゃんと記録されてた。「3:0X」とか「3:1X」とか、顔のサムネ付きで。
でも、男は、一度も映ってない。
同じ箱に、確かに二人で乗ってるのに。
あのカメラ、俺の顔は毎回検知してるのに、すぐ隣に立ってる男だけ、一度も検知してない。
最初はバグだと思った。思いたかった。
翌日、サポートに問い合わせた。「箱の中にいる人物が記録されないことはありますか」って。
返ってきたのは、「当カメラは箱内の人物を全員検知します。検知漏れはほぼございません」。
ほぼ。
その「ほぼ」が、しばらく頭から離れなかった。
ここで普通やめればよかったんだけど、俺、どっかで「これ、ネタになるんじゃないか」って思っちゃったんだよな。最低だけど。
それである夜、箱の中の鏡で自撮りした。男が後ろに映るアングルで。
で、SNSに上げた。「うちのエレベーター、毎晩これなんだけどw 何階の人だろう」みたいな、軽いノリで。
そしたら、思ったより伸びた。同時に、リプが妙だった。
「後ろの人、足元なんか変じゃない?」
何人かに同じこと言われた。自分でも拡大して見たけど、よく分からない。床に足はついてる、ように見える。でも複数人が、同じ違和感を口にしてる。
そのうち、知らないアカウントから、短いリプが一件来た。
「その人、降りないでしょ」
それだけ。
俺、投稿の中で「降りない」なんて一言も書いてない。男がどこで降りるとか、降りないとか、なんも触れてない。
鳥肌が立って、すぐそのアカウントを見に行った。もう消えてた。投稿ごと、まるごと。
こわくなって、俺も自分の投稿を消した。スクショだけ、なんとなく残してある。今も、残ってる。
次の休みの日、ちょうど管理会社の人が定期点検に来てたから、世間話のふりして聞いてみた。
「夜中、エレベーターでよく人に会うんですけど、あれ、何階の方ですか」って。
その人、一瞬、手を止めた。
「…3時台にお乗りになるのは、記録上は、お客様お一人だけですね」
お一人。
俺、聞き返せなかった。
点検を終えて帰る間際、その人が、少しだけ声を落として言った。
「前にあのお部屋にいらした方も、同じことを仰ってましたよ」
それだけ言って、帰っていった。
前に、あの部屋に住んでた人。
俺の、部屋。
それからは、毎晩、帰ってからログを確認するのが癖になった。やめたいのに、やめられない。
そして先週。
初めて、「3:14」のログが、二件、並んでた。
入室、二件。まったく同じ時刻。
サムネを見た。
両方とも、俺の顔だった。
一晩のうちに、俺が二回、入ってることになってる。
バグだと思いたい。本当に、思いたいんだけど、もう自分でも信じられなくなってる。
昨日の夜、決めた。
降りるのをやめて、最後まで乗っていようって。あの男がどこに行くのか、見届けようって。
いつも通り、3時すぎに帰った。箱に乗った。男も、いた。髪は、濡れてた。
俺は、自分の階のボタンを押さなかった。
ただ、立ってた。
扉が閉まって、箱が、ゆっくり上がりはじめた。何階に向かってるのか、表示は点いてなかった。
そのとき、男が、初めて、ゆっくり顔を上げた。
ずっとうつむいていた顔が、こっちを向いた。
そこから先のことを、よく覚えてない。
気づいたら朝で、俺は自分の部屋のベッドにいた。靴は、履いたままだった。
玄関の鍵は、内側からかかってた。
今朝、ゴミ出しでエレベーターに乗ったら、同じ階の人と一緒になった。
その人、俺の顔を見た瞬間、固まって、小さく「あ…」って声を出して、次の階で降りていった。逃げるみたいに、早足で。
家に帰って、アプリを開いた。落ち着いて、ログをずっと遡った。
3時台に上の階へ上がっていって、そのあと一度も降りてこない顔が、毎晩、一件だけある。
ずっと前から。たぶん、俺が引っ越してくるより、前から。
その顔は、俺だった。
ここまで書いて、さっき、気づいたことがある。
今、鏡を見たら、俺の髪が、濡れてた。
雨なんて、降ってないのに。
スマホの時計、さっきから「3:14」のまま、動かない。
……誰か、同じ建物の人、いないか。
たぶん今夜も、3時すぎに帰ってくる人がいる。
そのとき、エレベーターの表示は、ずっと「1」のままだと思う。
俺、もう、箱の中で待ってるから。

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